働き方改革とホワイト企業と求人広告(後編)

時代の流れから求人広告を見るシリーズの後編です。前編では、求人広告の主要な訴求点として、収入からワークライフバランスへと変遷してきたことを解説しました。さらに、ホワイト企業というあり方が求められるようになっていることを紹介しました。後編では、ホワイト企業についてさらに掘り下げると共に、これからの時代の人材と企業の関わり方、求人広告について未来予測をしたいと思います。

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新たな「ホワイト企業」像

ホワイト企業は、表層だけを捉えれば、労働時間の短い企業を指します。ただ、本稿で扱うホワイト企業は、異なる意味合いを持ちます。前編で少し触れましたが、「社員の幸せ」に軸を置いていることです。こうしたことを言うとスピリチャルでカルトがかっているように感じられ、受け入れがたいかもしれません。特に現在は理念的なものへの強い抵抗があります。

しかし、幸せは企業や労働に関する重要なキーワードの一つとなっているのも事実です。エンゲージメント(愛社心、思い入れ、社員の定着)の観点から、国内外の企業で注目度が高まってきています。アメリカの大手企業、アマゾンやフォード、ペプシコなどでは、社員の幸福度を定量的に測る取り組みも進められています。

本稿では、そうした社員の幸せなど新たな潮流を見ながら企業や働くことを考え、求人広告の未来を予測するのですが、その前に、一旦なぜ現状ではホワイト企業=労働時間の短い企業となっているかを考えてみたいと思います。

仕事・働くことに対する意識・考え

よくよく考えてみると、労働時間の短さがホワイトさを表す重要なキーワードとなっているのは、少しおかしな話ではないでしょうか。おかしく感じられないとしたら、それは、働くことは悪であるという考えを知らず知らずのうちに土台にしているからだと思います。悪とまでは言わないものの、少なくとも良くないものとして見ているから、労働すなわち良くないものをする時間は短ければ短いほどいいという理屈が成り立つ側面があります。

長時間労働は搾取というイメージが付きまといますが、たとえ正当な対価(残業代)あるいはそれ以上の報酬があったとしても、現在では長時間労働を好ましいものとは見ないでしょう。それは、働き方改革が出る以前にあった傾向でした。

なぜこうした考えが根付いてきたのかというと、一つにはブラック企業への反発が考えられます。労働の対価がある場合はブラックとは言い切れない側面もあると思いますが、対価なく長時間労働を強いる企業が批判を受けるのは当然のことです。また、過度な成果主義で成果さえ出していれば何をしてもいい、逆に成果を出していなければ何をされても受け入れなければならないという極端な思想も生まれ、これもまた批判され反発の元になるのは当然のことでした。

もう一つには、時代の豊かさが影響していると考えられます。現代は非常に豊かな時代です。便利で優れたものが多く世の中に出回っています。最低限の収入を得れば、30年前のお金持ちよりも良い暮らしができるかもしれません。例えば、30年前は携帯電話を持つ人は極一部に限れていました。しかし、今は高校生ですら非常に優れた性能を持つスマートフォンを持っているのです。おそらく、物質の面では、30年前には想像もつかなかったような豊かさがあるでしょう。

つまり、何が言いたいのかというと、今はガツガツ働かなくても最低限以上の生活ができるのです。となれば、なるべく働かないでおこう、今のままで十分に豊かに生きていけるのにこれ以上働けというのは苦役を強いることである、たくさん働くのは損、という発想が生まれるのは納得のできることです。(仕事の広告を書く身としては、教育現場などでもう少し働くことの尊さや意義が強調されていいとは感じるのですが。。。)

ただ、最近では若手を中心に、働くことに対し別な見方や傾向も生まれています。それは、自己実現を目的に働くことです。労働を強制的にやらせられるものと捉えず、自らの目的のために自発的に働きます。強制的なのか自発的なのかの違いは大きく、安易に結びつけると誤解を招きそうですが、「ホワイト企業」とも深い関りがあります。

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企業経営にも変化の傾向

上記のことはどちらかと言うと、働く側からの視点で「ホワイト企業」が求められる背景を解説しました。ここでは、ざっと企業側からの視点にも触れておきたいと思います。企業が「ホワイトさ」を強調するようになった背景には、もちろん、求人やエンゲージメントを目的とすることが大きいのですが、もう一つ、アメリカ型合理経営、端的にはMBAへの反発、日本型経営への回帰があるという見方もあります。

これは最近よく言われていることの一つで、MBAを取り入れたことで、企業に従来あった活発さや柔軟性、創造性が失われたというものです。より正確には、あまりにもMBA流の合理主義や数値管理に偏りすぎ、バランスを欠いていた。実は日本型経営で良かったんじゃないか、という自省のようなものです。

もともと文化も風土も異なる国で培われた経営法をそのまま当てはめようとしたことに無理があったのかもしれません。また、このごろ盛んに言われているイノベーションは、合理的な考えで生まれるはずもないことは、容易に想像がつくような気もします。

実は、こうしたことが言われ始めた背景の一つには、GoogleやAppleなどが積極的に東洋思想を取り入れ始めていることも関係しています。また、MBAを取り入れず独自の経営を続けた国内企業が好調を続けていることも少なからずあり、これまでほとんど無条件に信じられてきた経営法の信頼が揺らいでいると言うこともできます。

興味深いのが、「仕事の報酬は仕事」という言葉をよく耳にするようになったことです。若手のリーダー育成やエンゲージメントの文脈でたびたび出てきます。一般的な文脈で言われる「ホワイト企業」とは真逆の方向性を示す言葉なのですが、「仕事の報酬は仕事」を行う企業も「ホワイト企業」の一つのあり方との見解です。

今はVUCA(ブーカ、Volatility=変動性、Uncertainty=不確実性=、Complexity=複雑性、Ambiguity=曖昧性)の時代と言われています。これもアメリカから出てきた言葉ですが、要するにこの先何が起こるかどうなるか未知数ということです。先が見えないから、これまで通りでは通用しない。別の対応を取らなければならないと、今は一つの転換期に来ていると言えるでしょう。

求人広告にも多様性

さて、こうした時代背景を受けて、求人広告がどのように変化していくか考えてみたいと思います。今は「労働時間が少ないという観点からの働きやすさ」が一つの主要なテーマとなっていることは既に述べました。それ以前は「収入」への注目が大きかったこともお伝えした通りです。

しかし、実は、給与や残業時間、さらには会社規模や収益性、安定性など、そうした定量的なハード面での訴求では限界があることは、ずっと言われ続けています。単純に考えても、ハード面で競合優位性を築くのは非常に困難であることがわかります。例えば、「残業0時間」という事実のみで、他社との差別化を図ることはできません。「残業0時間」の企業が一つしかないなら別ですが、複数あるのは間違いないからです。また、収入に関しても、給与に引かれて来た者はより良い給与が提示されればすぐにまた転職する、つまり、給与のみで訴求するのは定着、エンゲージメントの観点から、良策は言えないとされてきました。

では、何を打ち出せばいいのか。それは、会社のソフト面、すなわち、会社の理念や考え、仕事の面白さややりがい、一緒に働く仲間たち、仲間との関係性などです。これらソフト面は、その企業だけが持つ魅力を存分に伝えることができますし、求職者への強力な訴求にもなります。

反面、ソフト面を訴求するには、一定以上の制作上のスキルも要求されます。綿密な取材、熟考しての広告設計、丁寧な作り込みの原稿執筆を行わなければ、ともすれば綺麗事を言っているだけになってしまうからです。特に企業理念は注意して伝えないと、それこそスピリチャルだ、カルトだなどと誤解を招きます。「残業0時間」は誰が書いても「残業0時間」ですが、ソフト面はそうもいかないところがあるのです。そこは制作上の面白さでもあるのですが。

ただ、現状でも、いくら残業時間や収入がメインの訴求点とされているからと言って、他のことにまったく触れていないことはまずありません。触れていないとしたら、それは求人広告ではなくただの求人票です。また、優れた求人広告ではあれば、例えば、残業0時間をメインの訴求としながらも、その背景にある会社の理念や考え、仕事や仲間の魅力にも言及されているケースがほとんどです。

話がやや横に逸れてしまいましたが、求人広告がどうなっていくかに話を戻すと、今はやや下火になっているソフト面の打ち出しも積極的に行われていくだろうと予測します。特に、会社理念の注目度は高まる可能性があります。現状ではいかにも「会社色」に染まること、つまり「社畜」を要求するようで敬遠されていますが、これからはまた違った捉え方をされるでしょう。一方で、労働時間は少なければ少ないほど良いという要求も残ると考えられますので、そうした思いとのマッチングを図る必要もあります。

企業に多様性が求められていくように、求人広告もまた多様な展開をすると考えられます。制作側は多様な角度から企業・仕事の魅力を伝えられるよう、企業や仕事、時代背景への理解を深めると共に、引き続きスキル向上に努める所存です。

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