「クール」という言葉にどういう印象を受けるでしょうか。クールはもちろん英語ですが、日本語してもすっかり定着しています。ただ、実は年代によって訳というか解釈が異なるのではないかと思います。今は中学校の英語の教科書で「cool=格好良い」と教えています。Honda is cool. なんて例文がありました。一方で、20年ほど前は「cool=涼しい」で、格好良いという意味合いはあまりなかったんですよね。面白いのが、「he is cool.」 を映画の字幕では「彼はホットだぜ」なんて訳していたことでしょう。coolは日本でも当時から格好良いの意味でつかわれることもありましたが、どちらかというと冷めている感じの人を「あの人はクールだ」などと言っていました。その意味で、Hondaがサッカー日本代表の本田圭佑だとしたら、Honda is cool. は今の40代以上にはかなり違和感のある例文です。言葉は20~30年で変わると言われています。意味が変わることもあれば、言葉の使われ方やイメージが変わることもあります。求人広告やHR関連で使われる言葉も随分、その意味合いが変わってきたケースもあります。いくつかピックアップします。
エンジニアは現場で仕事をする?
エンジニアというとリモートワークのできる代表的職種で、パソコン一つでいつでもどこでも仕事をこなす、「クール」なイメージがあるかもしれません。おそらく、エンジニアと聞いてITエンジニアを想像したと思います。いちいちITと断りを入れなくても、エンジニアと言えば、ITを駆使する職業と考えたかもしれませんね。
しかし、エンジニアがITエンジニアを指すようになったのはここ20年の話です。ITが世の中に定着し、当たり前になったのがここ20~30年。従って、ITエンジニアは、ここ20~30年で生まれた新しい職業ということになります。一方で、エンジニアという言葉はもっと古くからありました。すると、「エンジニア」はITエンジニアではなく、別の仕事を意味していたことになるわけです。
多くの場合、「エンジニア」は今でいう機械(系)エンジニアを指していました。エンジニアと言えば機械を扱う技術者で、当然に現場で仕事をしていました。古い世代はエンジニアと聞いて機関士を思い浮かべるかもしれません。機関士は船などの技術者で、「海のエンジニア」と呼ばれることもあります。英和辞典では「エンジニア(engineer)」にエンジニア、技術者、技師、機関士などの訳語を当てています。つまり、「海の」などと言わなくても、エンジニア=機関士だったのです。ただ、現在は機関士のつもりでエンジニアというと、誤解を招く可能性がかなり高いと言わざるを得ないでしょう。
エンジニアはクールなのか。
今はエンジニア=ITエンジニアがすっかり定着していますが、ITバブルが起こる2000年前後のころは、定着する一歩手前だったような気がします。そもそもITエンジニアという言葉もあまり使わなかったと記憶しています。
では、どんな言葉を使っていたか。SE・PGが一般的だったでしょう。以前はSE・PGの募集広告も多く見かけましたし、自分の職業をSEまたはPGという人もかなりいました。SE・PGという言葉はもちろん現在でも使われていますが、当時ほどは見かけなくなっているような気がします。SE・PGはシステムエンジニア(SE)とプログラマー(PG)の2職種を併記しているのですが、職務領域の切り分けが不明瞭で、それならいっそITエンジニアでひとくくりにしようと考えたのではないでしょうか。中途向け求人広告の都合に限ったことを言うと、1原稿1職種が原則となっていることが多いので、「エンジニア」と一括りにできるのなら、そうしたいと考えるのが妥当です。あるいは単にエンジニアで通じるならそれでいいやと捉えているのかもしれません。
また、エンジニアはイメージを大きく変えた職業の一つと言えます。2000年代初頭はどちらかというと、泥臭い仕事のイメージがありました。エンジニアの仕事の真価がわかっていなかった側面もあるでしょう。当時からエンジニアの需要は高かったのですが、ありていに言えばパソコンのできる裏方と言ったところでしょうか。便利なツールを作ったり、ややこしいシステムの使い方を教えてくれたりする人たちでした。それが、今やテクノロジー(IT)はビジネスを進化させるのに欠かせないものとなり、エンジニアのニーズも高まる一方となっています。
エンジニアの職務内容に目を転じると、かつてはオープン系の開発ができることが花形でした。しかし、今は少し状況が変わっており、データやAIの経験や知識が求められるようになっています。エンジニアを指す言葉としてアナリストやサイエンティスト、スペシャリストも使用されるようになってきてもいます。やや蛇足ですがデータ(ベース)エンジニアは、専門性が求められず、未経験者も歓迎という職種として扱われることも少なからずありました。それが今やデータと言えば最先端で、高い専門性が求められる分野の一つとなっているのですから、面白いものです。
デザイン・デザイナーの仕事とは。
デザイン・デザイナーも近年、大きくイメージを変えた仕事・職業の一つと言えそうです。より重要性を増してきたと言えるかもしれません。デザイナーの仕事の価値がこれまで以上に高まっているのです。ただ、必要とされているのは、従来のデザイナーの業務の枠を超えているかもしれません。
デザイナーというと、ポスターや広告、本の表紙、製品の色や形、キャラクター造成などを思い浮かべるでしょう。ここで列挙したことは現在もデザイナーの重要な業務です。ただ、近年はよりデザイナーの仕事の範囲が広がっています。背景には、製品設計の考え方が変わってきたことがあると推察されます。
従来は、新しい製品と言えば、基本的には技術力が重視されてきました。一方で、このごろはデザイン性、別の言葉で言えば使いやすさが重要性を増してきています。ITの領域でUI・UXという概念が生まれ、UI・UXデザイナーという新しい職種も生まれました。それ以前にもWebデザイナーという職種が生まれており、エンジニアと同様に、ITがデザイン・デザイナーの仕事を大きく変えたと言えるでしょう。
現在はデザイナーの募集では、ポスターや広告、本の表紙、製品の色や形、キャラクター造成などのグラフィックの分野より、Web、UI・UXに関する案件のほうが多くなっています。もしかしたら、デザイナーと聞いてITやエンジニアより仕事を想像するかもしれません。求人の仕事に関わっている人は、この傾向が強いのではないかと推察されます。
何をデザインするのか。
もう一つ、デザイン・デザイナーの仕事を大きく変えたのは、「デザイン思考」でしょう。「デザイン思考」とは、デザイナーの発想方法や思考プロセスを指し、課題解決やイノベーション推進につながると捉えられています。AppleやGoogleなど世界的なグローバル企業が経営に取り入れており、2010年代に日本でも注目度が高まりました。これに伴い、「デザイナー」のニーズが一気に高まったわけです。
ただし、この場合、デザイナーに求められているのは、純粋なデザイン力ではありません。「デザイン思考」を「デザイン」と「思考」に分解すると、圧倒的に「思考」のほうが重要なのです。このため、デザイナーでありながら、デザインはあまり必要とされていない。求められているのは「思考」であり、それも課題解決やイノベーションを期待されているのです。一時期、「デザイナー募集」では一体誰をターゲットにしているのか、かなり混乱しました。正直、その業務をデザイナーに求めるのか、と疑問に思う案件もいくつかありました。ただ、デザイン思考とデザイナーの結び付けはそれほど流行せず収束したと記憶しています。
一方、デザイン思考に付随して、デザインという言葉の定義は広がりました。もしかすると言うと、今では「デザインする」というと、色や形を考えると想像する人のほうが少ないかもしれません。「企画する」くらいの意味で捉えられるケースが多いのではないでしょうか。経営、キャリア、コミュニケーション、未来……をデザインする、という使われ方が一般的になっているからです。「広告をデザインする」などと言うと、色や形のことを言っているか、広告戦略を言っているのか、よくわからなくなることもあるほどです。
まとめ
ここまでエンジニアとデザイナーを例に挙げ、言葉の変遷について言及しました。他にも、こうした例は枚挙にいとまがないでしょう。言葉はイメージが変わることもあれば、意味が付加されることもあり、その意味では使わなくなったということもあります。物を書く上ではこうした言葉の変遷に敏感にならなければならないのですが、言葉の変遷を知ることは単純に面白いことでもあります。今、何が流行しているのか、時代がどんなふうに変化しているのか、何となく見えてくるかもしれません。余談になりますが、今のティーンエージャーはスタンドバイミーと聞いて「ドラえもん」を想起するという話もあります。40代たる私はスティーブン・キングです。こうした言葉の変化を、探ってみるのも興味深いかもしれませんね。