【コラム】求人広告で、仕事をどう見せる(魅せる)か

仕事の魅力を打ち出すのは、求人広告のもっともオーソドックスな打ち出し方の一つです。最近では、待遇・福利厚生、就業環境、教育体制などを強調し、仕事についてそれほど焦点を当てない例も多々見られますが、まったく語らない求人広告はないと断言できます。

仕事の見せ(魅せ)方は多種多様です。特に中途向けの場合は、さまざまな角度から仕事を見つめます。時には「そんなことが魅力になるのか」と驚かれることもあります。それは、決して奇をてらっているのではなく、取材で従事者の声を聞きターゲット(求職者)のニーズや置かれた状況から鑑みて「この仕事のこの点を魅力に感じるのではないか」と仮説を立て追求していった結果です。

仮説によって導き出された魅力は、従事者がはっきりとそれとは認識していないことも少なくありません。むしろ、自身が認識している魅力は、誰でもわかる、言ってみれば、取材しなくても書けるような内容がほとんどです。それはそれとして無下にはしないけれども、もう一歩踏み込んで取材し、さらに「ターゲットの目線」に立って改めて考えてみる。聞いたことをそのまま書く以上の工程を踏むのが、コピーライティングの面白さであり難しさであるとも言えるでしょう。

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あくまでターゲットにとって魅力か否か。

ただ、この魅力という言葉はあいまいというか、誤解を招きやすい側面を持っているようです。仕事の魅力を見せることは、すなわち仕事を格好良く表現することと、とらえられがちです。そして、誤解を恐れずにいうと、「格好良い」に、知的、クリエイティブ、イノベーティブ、グローバル、先進的などの言葉を当てはめようとします。結局、仕事の魅力を見せるには、これらの言葉が当てはまる部分を見せなければならないと、半ば脅迫的に思っているのです。

ここで立ち止まって考えなくてはならないことが2つあります。一つは、ターゲットがそれら「魅力的な」要素を求めているのかどうかということ。もう一つは、それら「魅力的な」要素がなければ、その仕事は魅力的ではないのかということです。

何が魅力で格好良いいかの判断は、自分自身にしかできません。つまり、その魅力や格好良さは、必ず主観的なものの見方をした結果であるということです。その主観を完璧になくすことは不可能ですが、できる限り削ぎ落し、ターゲットに寄り添うことが求人広告には求められます。

また、知的でも、クリエイティブでも、イノベーティブでも、グローバルでも、先進的でもない仕事は少なからずあると考えられます。逆に、それらの側面のまったくない仕事はないと言うこともできます。いずれにせよ、それで即魅力的だ、非魅力的だ、ということにはならないはずです。求人広告の制作に向き合う際は自分自身が意識的・無意識的に持っている固定概念を一旦横に置かねばなりません。例えば、知的労働でない仕事は魅力的ではないと、さも当たり前のようにとらえる向きもあるようですが、それはとても乱暴なものの見方です。このことを十分に心得ておかねばならないでしょう。

安易に「魅力」を押し付けないこと。

そうしたことを忘れ、安易に「魅力」を求めてしまうと、非常に歪んだ仕事像が出来上がります。目の前にある仕事を直視せず、自分の価値観を押し付けてしまっています。つまり、実態とかけ離れ過ぎているのです。こうした求人広告は、求人の仕事に慣れないうちはやってしまいがちなので、注意が必要です。

最後に、やや蛇足になりますが、世の中に意義のない仕事はないと思っています。どんな仕事も何かの面で世の中の役に立ち、人に貢献しています。その意義を求人広告の打ち出しとするかどうかは別問題ですが、すべての仕事には意義がある、という見地に立ち、その上で、自分なりにターゲットの目線に立って改めて仕事を見てみる。すると、新しい発見もあるのではないでしょうか。私はそう考えております。

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