
アニメ『機動警察パトレイバー』のリバイバル上映が2025年にファンの間で話題となりました。ロボットと言えばパトレイバーという他ではあまり見られない価値観? を持つ私も当然に劇場に足を運んだのは言うまでもありません。
それにしても、スクリーンの中で描かれていた30年以上前の「未来」が、2026年の現代においてあまりにリアルな課題を突きつけていることに驚かされました。30年以上前の作品とは思えないほど、現在の日本が抱える課題を鋭く突いているのです。今回は、この作品を切り口に、日本特有の「価値観」について少し考えてみたいと思います。
「ソフトがハードを凌駕する」することへの違和感
劇中には「HOS(エイチオーエス)」という画期的なOSが登場します。これは、ソフト(OS)の力でハード(レイバー)の力を最大限に発揮させるという思考のもとに開発されました。現代の自動車業界でいう「SDV(ソフトウェア・デファインド・ビークル)」を先取りしたような設定です。
興味深いのは、当時の作品内でこの技術が、どこか正統ではない「亜流(ありゅう)」として描かれていた点です。
ここから、日本産業界の「ハード>ソフト」というヒエラルキーが垣間見えたように感じました。物理的な物こそが主役(本流)であり、目に見えないソフトはあくまで付属品。ソフトの力だけでハードの性能を変えてしまう考え方に対して、当時の日本は(もしかしたら今も)本流ではないという感覚を抱いていたように思えます。別の言葉で言えば、形の見えないものに対する違和感と表現されるかもしれません。
日本は「ものづくり」が得意ですが、ソフトは苦手だと言われます。もしかしたら、日本はいまだにソフトを正体不明で不気味なものと見ているのかもしれません。
なお、パトレイバーでは、ラストで「結局は道具(ソフト)ではなく、それを使う人間(現場の判断や職人芸)が大事」と着地しました。非常に日本的な救いであり、感動的なストーリーです。
日本のメーカーが今も強いのは、まさにこの「現場の力」があるからでしょう。どんなにソフトが進化しても、最後のタイヤの接地感やハンドリングの味付けは、人間にしかできない領域です。一方で、この「最後は人間」という美学が、デジタル分野では「ソフトの不備を現場の頑張りでカバーすればいい」という考えに繋がり、ソフトウェアそのものの哲学を磨くことを遅らせてしまった側面もあるように感じられます。
「ターミネーター」の恐怖を克服したアメリカ
パトレイバーと同じ時期、アメリカのハリウッドでは『ターミネーター』がヒットし、「AI(スカイネット)=人類を滅ぼす恐怖」というイメージが定着していました。
しかし、2026年の今、アメリカはどうでしょうか。かつてあれほどAIを「怖いもの」として描いていたのに、いつの間にか今やその価値観を完全に転換しています。AIへの恐怖心は大きく薄れ、「ハードの限界を突破するための最強のツール」として、ビジネスのあらゆる場面にAIを組み込んでいます。2026年どころか、1995年のWindows 95リリースの時にはとっくに恐怖心などなかったのではないかと推測されます。
人事の世界ではAIが大注目
ひるがえって人事の世界ではどうでしょうか。
人事の業務は、自動車産業のような物理的な「ハードウェア」の世界とは異なります。しかし、AIが間違いなく業務の中に入り込み、採用や評価のあり方を大きく変えている事実は無視できません。
「人のことなんだから、デジタルに頼るのはおかしい」という声も以前は聞かれました。もちろん、人事業務のすべてをAIが代替するのは不可能でしょう。AIがどれだけ発達しても人が行う領域が残るのは確かです。しかし現在は、AIを上手に業務に取り組み、独自の活用法を見出している企業が確実に増えています。
かつての「ハード至上主義」の価値観から脱却し、AIという新しい波に人事がどう対応していくのか。今後のどのような発展を見せるか、注目していきたいと思います。








